長洲町史を読む! 第2回
これは、長洲町の歴史をまとめた書「長洲町史」を紐解き、僕らの暮らす長洲町が過去どのようなこのようなアレだったのかと、思いをはせるナニカである。
つまり、長洲町史に記された歴史的エピソードやなんやかやを紹介してみよう!というコーナーです。
基本的に行き当たりばったりで目についたところから行く予定です。
なお、長洲町史については、長洲町図書館に蔵書してありますので、自分で読みたくなったら図書館のご利用をおすすめいたします。
第2回 「長洲町50周年」
知ってる人って意外と少ないのではないでしょうか?正確には、「長洲町合併50周年」です。
1957年(昭和32年)10月1日、長洲町と腹栄村が合併し、現在の長洲町が誕生したのです。
更に時代はさかのぼり、1889年(明治32年)、町村制の施行により長洲町・清里村・腹赤村・六栄村となるのだが、1955年(昭和30年)頃に町村合併の気運により、清里村が荒尾市と長洲町に分村。同年7月20日に梅田・建浜・駅通りが長洲町と合併するのである。また同年9月30日には腹赤村と六栄村が合併し、腹栄村になるのです。
当初、熊本県が発表した「合併試案」によれば、大野・睦合(旧岱明町、現玉名市岱明町)・六栄の3村と、長洲・清里・腹赤の3町村の合併が妥当であるとの事だったが、町村の間では、大野・睦合・高道・鍋(旧岱明町、現玉名市岱明町)の4村、長洲・清里・腹赤・六栄の4町村の合併へと話は進んでいくのである。
ただ清里村に関しては分村合併となり村民に大きな傷跡を残すものとなったのである。当時「荒尾市への編入派」と「長洲町との合併派」との対立は激しいものであった。村長解職のリコール運動や、村議会が始まれば村役場において人垣で埋め尽くされ、県警の機動隊が約300人が出動し警戒に当たるなど、全国に報道され話題となってしまうのである。
内野康弘
さて、次回はどんな話題でしょうか?
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